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前置きとして、言い訳として、言い逃れとして とりあえず書いておくと、 「下記の文、いたって主観です。知識ありません、本読んでません」 ・・・こほん。 無知を承知で「祭について」 我がいとしの所属団体「沖鶴エイサー会」 エイサーというのは、沖縄のお盆の習慣のひとつ、先祖を迎えるための 儀式というか踊り、という側面があります。側面と言うか前面と言うか・・。 ま、これに関しては、語ると長いので、省くとして。 沖縄に限らず、各地、どんな小さな町にも、「祭」ってものがあると思う。 その、祭について、子供の頃は屋台のたこ焼きのにおいにばかり 気をとられ、気づかなかったが、大人、というか、色事に目覚めてから 気づいたことがある。 「祭って男女の出会いの場、じゃん」ってこと。 娯楽の少なかった昔、云々をここでいう気はないけど、 遊びより、生活のための生活、の時間が多かった昔は、 出会いってものも、今ほど多くはなかったと思う。 そのなかで、「晴れの日」としての祭、 男女が生活を少しはなれて 騒ぐ日。それが、「祭」 五穀豊穣、祈願、という、表の意味の裏にある「出会いの場」としての儀式。 だからこそ、「男」「女」の役割が決められてきた。 より、男らしく、より女らしく映るように、それぞれの領分を侵さないようにされてきた。 山車に乗れるのは、男だけ、 お神酒を注げるのは女だけ、etc ここには入れるのは男(女)だけ。 輝く男=女ができないことをやっている存在として、女の目には 普段の数倍も勇ましく、頼れる存在の男。 着飾った女=普段とは違う、美しいでたちの女。 だから、そこで、恋が生まれ、(普段は冴えない存在であろうとも) 祭の日には惹き合うことができたんじゃないかと思う。 発情日、としての祭。 いまでこそ、出会いの場としての意味はなくなったけど、 舞い踊る男を見ると、やはり、興奮を覚えるのは、そのせいもあるんじゃないかと おもうんです。(私は女だからね) だから、祭においての伝統的な「男」「女」の役割は かえて欲しくないなあ、と、「エイサー」全般に思う。 運のよいことに、我が所属団体は基本的に、伝統の役割を 守っている(会長の主義)。だから好きだ。 男女平等と叫ばれ、なんだか平等と、役割分担ってのが ごちゃ混ぜに解釈されてきているけれど やはり、欲情する演舞であるために、太鼓は殿方に限ります! ポニーテール(死後か?)ぶんぶんの女の太鼓は、 性転換手術に失敗した人を見てるようで、しょぼんとしてしまう。 年食った「女形」の演技のようでもある。 (気持ち悪いってだれか言ってやれよ!どう見ても、おっさんだろうが!ていう感じ) 団体それぞれの主義はあるから、外に向かってとやかく言わないけれど、 太鼓は男だ!祭はエロスだ! と思う。 誤解のないように、書いておかなければ・・ このブログ、メンバーも見るかもしれないんだもんな。 所属団体のメンズ諸君、安心してくれ、 言うほど、ギラギラの目でみてないし欲情もしてない!からね。 ほんとに、ほんと。 団体最高齢のおばさんは、温かく見守っているのでありますよ! |
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